カテゴリ:草千日記( 14 )

 

幸せの種

人生は種を蒔く旅。
蒔いたどの種がいつ芽をだして育つかわからない時がある。
また、蒔いた種がどうなるかもわからない時がある。
蒔いた種が芽をだすのに長い月日、また年月がかかる時がある。
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1980年代にヨガを大学時代に始めて何か惹かれるものがあった。
毎週2〜3回、練習に通って、いつかもっとヨガを勉強してヨガの先生になれるかもなんて考えたことがあった。
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1993年に卵巣ガンになって、マクロビオティックを勉強して自分の命を救うことに集中した。
マクロビオティックヒーリングフードとホリスティックな生き方を通してガン療法をして回復後、
マクロビオティック・クッキング講師と、カウンセラーになる資格を取ってマクロビオティックの専門家になった。
ヨガは楽しく続けていた。

2001年に臨死体験をするほどのひどい車の事故で、身体障害で寝たっきりのおまる生活を1年、車椅子生活を約4〜5年した。あの時はまたヨガをするなんて考えてもいなかった。
でもただベッドで寝ているのは退屈で、動かせる首とか肩を動かしたり手や腕を動かしていた。
車椅子で生活できるようになってバスの乗り方を訓練した。
それから、椅子に座ってするヨガなど、お年よりや身体障害者ようのヨガに通った。

昨年からは、少しづつうちの犬たち(ヘルシー・ハッピー・プーチ)と毎日少しでも歩く訓練を始めた。
まだ、足や腰の痛みは毎日あってその上、歩くようになってもっと痛みがひどい時も多いが、
気持ちはハッピーだとわかった。

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今年は、60歳になったのをきっかけに近く(6ブロックほどある)のサンタモニカヨガスタジオまで歩いていけるように練習して、今は毎週3〜4回通っている。

自分でも信じられないけどこの週末にヨガ講師のトレーニングコースに初めて参加した。
大変だった、どうやってできたかミラクルのようで、涙が出る気持ちいっぱい。
ここまでサポートしてくれている主人のエリックとうちの犬たち6匹ネコ2匹。
そしてSeed Kitchenを通して知り合ってたくさんの人たちに感謝の気持ちいっぱい。

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サンタモニカヨガのオーナーのブルース、スタッフのダニエル、ジェネット。そして先生のナンシー、ジェイミー、アリソン、ナタリーとその他たくさんの先生には、言葉では表せないくらいの感謝心。

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30年前に蒔いたヨガの種は芽が出始めたばかり、
この幸せの種を心をこめて大切に育てて、花を咲かせて、実を収穫できるように
1日1日を大切な気持ちで生きる。

ラブ、
草千
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by studio-mugen | 2015-09-23 10:23 | 草千日記  

オーガニック手作りソープ

マクロビオティックを実践するようになって今年で20年以上過ぎてこの約20年を振り返ってみると
自分の夢を少しずつ実現させてきていることに気がついて幸せに感じるこの春。
手を使って何かを作ったり、書いたり、描いたり、ガーデニングするのが小さいときから大好きな私。

ここんところはまっているのが、オーガニック手作りソープ。
2〜3年前に友人に教えてもらって作ってみてとっても気に入って、昨年から自分なりにマクロビオティック的な
オーガニック手作りソープを作りたいといろいろリサーチして、材料は
エキストラ・バージンオリーブ油、ココナッツ油、ココバター(パーム油は使用してません*)食品等級苛性アルカリ材を基本に香りはピュアー・エッセンシャルアロマオイル使用。色は野菜、ハーブ, 粘土を使っています。
化学的な不自然な香り、色は一切使用してないで誇りをもってこだわって作っています。

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種類は:
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キャロットデトックス

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ラベンダーぬか

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アロベラ

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カレンジュラ 1)

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カレンジュラ 2)

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海藻レモン

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ケール青菜

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愛犬用

5月10日(土)3〜5pmにSeed Kitchenの新しいメニュー試食会に来て下さった方に全員サンプルのソープをプレゼントしますので、来て下さい。


*なぜ私がパーム油を使用しないか? 
パーム油はアブラヤシの果肉から得られる油脂で、大豆油を抜き世界で最も多く生産される植物油脂 。
今日スーパーマーケットにある商品の半数近くにはパーム油から得られた油脂や派生物が使われています。食料ではマーガリン、即席めん、インスタント食品、スナック菓子、菓子の揚げ油、外食店での揚げ油、冷凍・レトルト食品、菓子用油脂、マヨネーズなどからクッキー、チョコレート、スナック菓子、アイスクリームに至るまで、また食用以外でも石鹸、洗剤、工業用潤滑油、樹脂、塗料、化粧品、医薬品、化学製品などに幅広く使われているのです。知らない方も多いですそれはこれほど広く使われるようになったのはここ20~30年で、日本では加工食品等の原材料表示は単に「植物油脂」とすればよいので、消費者にはわからないのです。日本で使われる植物油のうち、なたね油に次いで2番目に多く消費され、国民一人当たり年に4~5リットルも消費していることになります。

1)パーム油の主要原産国はマレーシアとインドネシア(約90%)ですが、現地ではこの安い油を大量生産するため、大切な森林を切り開き、パーム農園と工場を作り続けています。いまやパーム油は大人気の油で世界中で利用されていますし、注目度の高い油なので今後も増産体制は続くと思います。

ところがこれによって、森林の伐採が広がり、従来そこに住んでいた貴重な野生動物が住み家を奪われ、大切な熱帯雨林の破壊が毎日広がっています。そしてそのことが地球温暖化のひとつの原因にもなっています。

私たちがパーム油の入った加工品を買い続ける限り、増産と自然破壊は永遠に続けられていきます。野生保護しない環境を破壊する。
2)

パーム油は飽和脂肪酸を多く含む脂肪で必須脂肪酸が少ない油です。ですから陰では植物油の顔をした牛脂と呼ばれているくらいなのです。

具体的にいうと、飽和脂肪酸の含有量が45%も入っています。ちなみに豚脂は38%です。

重要なのは、動物の体温は人間よりも高いので、動物性油脂は人間の体内に入ると固まってしまうため健康に悪いのです。ここがパーム油はよくない、とする理由です。パーム油の場合は、飽和脂肪酸ですから、もともと固まっています。それを人間の体内に入れるわけですから、動物性油脂のように血液の粘度を高めてしまい、血の流がとても悪くなるのです。これを取り続けると動脈硬化や肥満の主因となります。

動物の脂の中よりも飽和脂肪酸が多い植物油、パーム油が使われている加工品を購入する時にはこれを承知しておくことが大切です。たくさんの食品に使われているがヘルシーなオイルではない。 


日本での手作り石鹸はほとんどパーム油か動物性の油を使っていますので、
ぜひこだわりのパーム油なし、そしてオーガニック の手作り石鹸をみなさんにぜひ試してみてもらいたい。

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Love, Sanae
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by studio-mugen | 2014-04-16 04:13 | 草千日記  

マクロビオティック・サンクスギビング

昨日はアメリカのホリデーで私が一番好きなサンクスギビン(感謝祭)。
このホリデーは、11月の第4木曜日に、家族や友人が大集合してメインディッシュには大きな七面鳥の丸焼きを食べるため「七面鳥の日(Turkey Day)」とも呼ばれてる。

家族がアメリカにいない私とエリックは以前、家族と一緒にこの日を過ごさない友人たちと集まって、
七面鳥ではない、穀物、豆類と野菜中心のマクロビオティックのお料理を作って食べて楽しんでました。

10年ほど前から、ヴィッパッサナー瞑想修行の為にノースフォークに来始めました。
ノースフォークは、ヨセミテ国立公園の近くにあって、カリフォルニア州のど真ん中にある小さな村町。
お水が美味しくて、オーガニックのファーマーがいて、空気もきれいで、たくさんの星空で流れ星も見える。
このノースフォークに来るようになって忙しい街での仕事生活とのバランスがとれるようになりました。

小さなこの村町のノースフォークで親しくなった人たちホリデーに集まることもありましたが、今回はみんな忙しくってサンタバーバラーから10年前にノースフォークに移ったキースだけが一緒にサンクスギビングを過ごせることになりした。

朝、一番でヴィッパッサナー瞑想センターに行って瞑想を1時間して, 美味しい朝食を食べて小川に犬たちと散歩に行って、昨年のサンクスギビングに収穫したローズヒップのお茶を飲んでゆっくりしました。

ディナーはホリデーのセージ豆腐ターキー、穀物と野菜のスタッフィングをセージのハーブでお料理していただき、ピーカンパイのデザート。 キースはポルトベロマッシュルームを作ってくれました。


今年も健康でこうして一生懸命働けて、素晴らしい感謝祭を平穏な気持ちで過ごせて、
美味しいマクロビオティック手作り料理を食べられることに
感謝の気持ちでいっぱいです。

愛と感謝をこめて、
草千

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手作りセージ豆腐ターキー


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手作りセージ豆腐ターキーを切るエリック


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ポルトベロマッシュルーム

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手作りセージ豆腐ターキー、穀物と野菜のスタッフィングとアーモンド、セージのハーブ、マッシュ・パースニップ、芽キャベツの菜、ローストさつまいも、フレッシュクランベリーソース、ローズマリーグレビー

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ワイルド・ローズヒップティー


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手作りマクロビオティック・ピーカン・パイ
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by studio-mugen | 2013-11-30 12:47 | 草千日記  

Macrobiotic Todayの記事から”大好きな私の人生”

カリフォルニア州にある
1960年から続いているマクロビオティックの雑誌、Macrobiotic Todayの4月号に私のインタビュー記事が載った。日本のマクロビオティック日本CI協会が日本語に訳したものを載せて下さっていますので、
ぜひ、見て下さい。


一応ここにもコピペしておきます。

I Love My Life!
An Interview with Sanae Suzuki
サナエ・スズキさんとのインタビュー

(By Julila Ferréジュリア・フェレー)



Julia(以下J):マクロビオティックに出会ったキッカケを教えてください

Sanae(以下S):私はガンを癒すためにマクロビオティックを始めました。でも、80年代前半、私がまだ大学在学中に、当時通っていたヨガ・スタジオでアベリーヌ久司先生の本を見ていました。

J:ヨガ・スタジオに本が置いてあったのですか?

S:そうです。サンタモニカは昔から自然食やヨガなどが盛んな場所ですから。ヨガの先生の一人がマクロビオティックとローフードを融合させたような食事をしていたこともあって、そのスタジオに本がありました。初めて本を手に取った時、長いおさげ髪の写真だったこともあって中国人女性かと思いました。日本では、久司という苗字もアベリーヌという名前も珍しいですし。けれども彼女の名前とマクロビオティックという単語は、私の中にスッと入ってきました。ガンになる何年も前でしたけど。

J:ガンだとわかったのはいつですか?

S:ガンの告知を受けたのは93年でしたが、それ以前の91年頃から症状は出始めていて、いつも疲労感と微熱に悩んでいました。その少し前に父親をガンで亡くしたこともあって、私は家族を支えるのに精一杯でした。叔父は父の会社を手に入れようと画策したり、母親は情緒不安定になりその後病気で他界してしまったりと、私も精神的にとても大変でした。

J:それがガンの原因のひとつでしょうか?

S:そう考えています。その時は、1年に7回も日本へ行きましたし。ガンになったのは、忙しすぎたこともあるけれど、ストレスが原因だったと思っています。フルタイムで働いていたし、食事に気をつけてもいなかったし、移動も多かったし、そして一度目の結婚相手とも上手くいっていませんでした。

J:物事がどんどん悪い方向にむいているようにとれますね。どこのガンだったのですか?

S:卵巣ガンでした。

J:手術されたのですか?

S:手術はしませんでした。88年に単核細胞症と肝硬変に罹ったことがあったので、また肝硬変になったのかと病院で診察を受けました。一度目の結婚相手がアルコール依存症で・・・私も当時はお酒をたくさん飲んでいましたが、アラノン(Al-Anon)プログラムとAA12ステッププログラム(12-step program)を知ったお陰で助けられました。

この出会いをとおして、アルコール依存症という症状やその症状を抱えている患者の振る舞い、依存症患者のいる家庭の子供にどのような影響があるのか、など多くを学んだだけでなく、過食症など、他の依存症についても学びました。その後、ロサンゼルスのダウンタウンにあるAA(アルコホーリクス・アノニマス)センターで電話応対のボランティアをはじめました。それは生きた英語を学ぶ機会にもなりましたね。

 その後、そこで講演者の一人になりました。日本語のアクセントが強く残った英語だったけれど、病院やチノ刑務所にも行ってスピーチをする機会もありました。人は変わろうと決意すればいくらでも変われます。私を見ていただいてもわかるように、私自身も大きく変わってきました。AAやAl-Anonからあらゆることを学びましたし、それだけでなく今もまだ残っているロサンゼルスの日本人のためのAAミーティングを立ち上げる手伝いもしました。これが人の前で話し始めるようになったきっかけになったようです。

AA12ステッププログラムの考え方は、後にガンを克服するのにも役に立ちました。「私はガンに対して、無力である」と受け入れたのです。

J:AA12ステッププログラムの考えをどう活用したのですか?

S:宇宙や神、呼び方はどうであれ、何か大きな力がこの世にはあるということを受け入れて、それに自分をゆだねます。そしてまず食べたものを全て書き出すことからはじめて、最後に今私が重点的に教えているスピリチュアリティを実践します。原理はマクロビオティックと似ているから、私のところに癒しを求めてくるガンの人たちにも、そして過食症の人、薬物中毒の人、アルコール依存症の人、薬を常用している人などの切迫した問題に悩んでいる人たちにも活用してもらえるのです。

J:マクロビオティックをAA12ステッププログラムの考えに組み入れたんですか?

S:ヨガ・スタジオでアベリーヌ・久司先生の本を見かけたときにマクロビオティックという言葉を知ってはいたものの、実践していませんでした。アルコールを止めたら肝臓が快復してきましたが、93年ごろ一年くらいずっと微熱が続いて身体が弱くなったと感じた時期がありました。また肝硬変になったのではと疑って病院で血液検査受けたら、肝臓ではなく卵巣に異常が見つかったんです。すぐにロサンゼルスのダウンタウンにある大きな病院に行ったところ、悪性の強い卵巣ガンだと告げられました。

保険は日本にしかなかったので、帰国する必要もありました。ショックが強くて涙が止まりませんでした。病院から帰る途中、近くにある日本食の自然食品を販売しているお店に寄ったのですが、オーナーのキクチさんは私を見かけると泣いていたことに気づいて、どうしたのかって気遣ってくれました。彼は以前から私にマクロビオティックについてあれこれ教えてくれていたのだけれど、卵巣ガンになったと診断されたことを告げると、すぐにマクロビオティックカウンセラーのセシール・レビンに会ってマクロビオティックを始めるようにとアドバイスをくれたんです。

 セシールさんに連絡はすぐに取ったものの、始めるまでに手間がかかりました。まずアンケート用紙を出してから、申込書を貰って、記入したものをセシールさんのところに持っていかなければならなかった。その場では、すぐ申し込みが出来なかったのです。それに日本やアメリカで、通常の病院での治療や手術に一体どれくらい費用がかかるものかも同時に調べていましたし。当時は父が他界したせいで母も体調を崩していたしそう簡単には日本に行くと決められませんでした。

 その時、親友だったエリックは「力になるよ」と言って励ましてくれました。マクロビオティックが食事法だと分かった後は一層私を支えてくれようとしました。彼はシェフだし、日本に行って日本料理を学んでいたし。それから、エリックが私に料理を作りはじめてくれて、私も1年くらいセシールさんの料理クラスに通いました。

J:回復の兆しはありましたか?

S:11月に始めて3月頃までは好転反応で排毒が始まり、体重が激減し体調が悪化しました。その後も料理クラスをとりながら授業中には横になるほど体調がよくない時もありました。セシールさんのクラスははレシピがなかったから、受講中は全て書き取る必要もありました。けれどそのお陰でしっかり勉強ができて、その年の暮れには体調がずっと良くなり体重も増えてきたんです。

J:クシ・インスティテュート(KI)に通い出したのはいつからですか?

S:94年です。KIのサマーカンファレンスに参加したのがはじめてです。セシールさんがが、彼女の1年間の料理クラスを完了後、料理を教える資格があると言ってくれましたので、95年からエレフォン・ナチュラルマーケットで料理を教え始めました。96から99年の間は、ラリー・クーパーが主催していたヘルス・クラッシックにキッチンスタッフとして参加しました。そこでマーク・ハナと出会い彼の料理チームに加わることになり、KIでも彼のチームとして料理をしました。その4年間フレンチ・メドウズのキャンプに参加できなかったのは、KIのサマーカンファレンスにいたからなんです。

 けれどそれ以外に、97年に6週間ヨーロッパに行って、マクロビオティックの先生たち、たとえばフランスのマダム・リヴィエールとレネ・レヴィ、ベルギーのクリム吉見、イタリアにいた村元登さんの奥様と共に勉強しました。7カ国訪問しましたが、それぞれの国では独自のマクロビオティックのスタイルがありましたから、とても刺激的でした。ベルギーでは布団づくりをしていて、それを手伝ったりしたんです。日本人だから布団作り方を知っているかどうか聞かれましたけれど、日本で布団の作り方を知っている人なんてほとんどいないですよ。

 アメリカに戻ってきてから、マッサージのクラスに通いはじめました。指圧のやり方は知っていたので、クライアントさんの一人がマッサージを仕事としたらいいとマッサージ学校には通うアドバイスしてくれたんです。それからは仕事として料理とマッサージとをするようになって、私のところに来るクライアントたちの体調も回復が早くなりました。

J:こんなに沢山の経験をつまれているとは知りませんでした。アルコール依存症、ガン、マクロビオティック教育、そして事故。本で事故のことを知った時にすごく悲しくなりました。事故のことを教えていただけますか?

S:KIでレベル1~3まで学んだ後、サンタモニカの自宅に戻り、エレフォン・ナチュラルマーケットでマクロビオティックのコンサルタントとして働く傍ら、プライベートでは料理クラスを主催したりマッサージ師として働いました。またマクロビオティックのコミュニティを立ち上げ、”Studio Mugen”を始めたんです。2001年に久司道夫先生がKIでレベル4を教え始めたと聞いたので、レベル4に進むことにしました。

 このときのKIへの旅は奇妙でした。それまで何度かエリックと二人でモントリオールまで車で一緒に移動して、帰りはエリックだけ飛行機で戻ったりしていました。それにKIまで自分一人で車で行っても道にも迷ったりしなかったのですが、その年はすっかり道に迷ってしまいました。モントリオールから出る道がわからず、アメリカ国内へ戻る道がわからないまま2時間ほど運転し続けていました。

何か奇妙なことが起こっていたのだと思います。KIからの帰りに時計が見つからなかったりもしました。KIをいつ出たら良いのかも決められなかったし。今となってはそうした兆候に、注意を払っていればよかったのだと思いますが、予定を変更しませんでした。アリゾナでは再び道に迷い、夜の7時に到着する予定が朝の3時までかかりました。本当なら、アリゾナの後ロサンゼルスに戻っている予定だったのですけれど。事故にあったのはその数日後です。

J:事故はアリゾナで?

S:そう、砂漠のど真ん中です。周囲には誰もいなくって、救助隊もヘリコプターでした。

J:何が起こったんですか?誰かがぶつかってきた?

S:いいえ、車が急に道を逸れて3回転半横転したんです。車が回転する間は意識があったから、全て覚えています。事故が起こってから4時間後に救助隊が到着しました。私を車から救助するのに、彼らはドアを切らないといけなかったから助け出されるまでにまた時間がかかったんです。

J:犬はどうなったんですか?

S:犬を3匹と猫を1匹連れていましたが、2匹の犬は死んでしまいました。残りの1匹と猫は、私が救出されるまでずっと傍にいました。救助隊の人に聞いたら、気温が40度もあったにも関わらず、何処にも逃げなかったのだそうです。太陽がすごく暑くて、意識がもうろうとしていたけれど、救助隊の人たちが私を車から引きずり出そうとしていたのを覚えています。次に目が覚めたのは、その3日後でした。

J:自分自身が身体から抜け出すような経験をしたのですか?

S:ええ、病院で。心臓が12分間停止したんです。

J:何か覚えていますか?

S:光が見えました。白い光と呼ぶ人もいますが、私にとっては輝く光でした。私はそこに向かって進んでいきました。その前には、生まれてからこれまでの人生が全て見えました。すごく早く進んでいたんです。恐ろしい、怖い気がしました。

J:光のほうに進んだんですか?そのときはひとりだった?

S:最初はひとりでしたが、ひとりだという気はしなかったです。すごく心地よかった。最初にアメリカで初めて飼った犬のサクラを見ましたのですごく嬉しかった。けれどサクラには、お別れを言って進まなくてはいけなかったんです。それから父親。現実では彼は既に亡くなっていたけれど「会えてうれしいよ」と声をかけてくれました。一緒にお茶を飲まないかと根っからの日本人的なことを私に言ってくれたのですが、私は行かないといけないと、彼にも告げました。そこには居たくなかったんです。サクラと父親に会えたのは嬉しかったけれど、きっと私は現世に帰ろうとしていたのだと思います。

 その間、担当医達は私を回復させようとしていましたが、電気ショックはうまくいっていなかったようです。もし彼らが普通の医者だったら私の命もそこで終わっていたと思います。しかし、トラウマ・センターのハミルトン医師は、他の医師が試した前歴のない、学校で習ったことがあるだけの停止した心膜に針を入れるという処置方法をとりました。まるで映画のパルプ・フィクションみたいな方法です。

J:ほんとうですか!心臓に直接針を?

S:ええ。でもその効果はありました。私は目を覚ましましたが、すごく酷い状態だったらしいです。ベッドを動かして太陽の光を見せろとどなりつけたり、ホメオパシーのレスキューレメディを買いにいけと言ったり、エリックにあれをしろこれをしろと命令したんだそうです。

 あちこち骨折していて、肺と心臓は打撲していて、肋骨は折れていて、手術に次ぐ手術でした。両足とも膝もくるぶしも完全に骨折していて、傷だらけで捻挫もしていたし、ボルトと鉄板で骨をつなぐしかなかったんです。テレビのバイオニックウーマンに近い状態でした。

 私を生き返らせてくれたハミルトン医師は、私自身がエッセンシャル・オイルやレスキューレメディを使用することや、肉を食べるのを拒んだりという選択を受け入れてくれました。他の医者は骨を丈夫にするために肉を食べるようにと命じたけれど、ハミルトン医師は私のやり方を尊重してくれました。日々回復している私の姿を見ていたし、私が生き返ったこと自体が奇跡だったと話してくれました。

 外科医の一人は、酷い状態だった私の左足を切断したほうがいいとも言っていました。一生歩けなくなり、車椅子で生活することになると。フィジカル・セラピーの治療を行って、上半身の動かし方や、ベッドから車椅子への身体の動かし方を習うようにと言われました。1年間は完全にベッド生活で、約3年間は車椅子生活だったからすごく落ち込みましたし、辛かった。身体中に痛みがあって、命を絶ちたいと思ったことも何回もありました。

 それ以上に、本当に辛かったのはエリックとの関係です。ガンと診断されたとき、彼は私にプロポーズしたんですが、そのとき私は生きる自信がなかったから断りました。それに彼は私より12歳年下なのだから、若くて健康で子供が産める相手を探すようにと言いました。彼には幸せになって欲しかったから、彼が私と一緒にいることは自分勝手過ぎると思ったんです。私の言葉に彼はすごくショックを受けたけれど、それでも友情はかわりませんでした。
しかし事故が起きる前、モントリオールで私がKIのレベル4に進んでカウンセラーになると言った時に、彼は私と別れると決めていたようです。

J:その後、道に迷ったのですか?モントリオールから出る道がわからなくなった?

S:そうです。そしてその旅で、自分が本当にエリックのことを愛していると気がついたんです。だから彼にプロポーズしようと決めたのです。私がエリックのプロポーズを断った時、もし将来、私の気が変わったら次にプロポーズするのは君だと彼からも言われていましたし。事故の前の日に友達に、エリックに告白して、一生一緒にいたいと伝えるつもりだと話したんです。本当に彼女に話していて良かったと今でも思います。最後の日、サンタモニカに帰る途中、犬と猫を散歩させようと寄ったアリゾナ州の砂漠の小さな村の名前は「ホープ」。それで「私には希望がある。エリックに話そう」と自分に言い聞かせました。事故がおきたのは、その15~20分後です。

J:すごい話ですね。

S:病院で昏睡状態から回復した後、エリックにあなたのことを愛してる、結婚したいと伝えたんです。けれども彼は私がガンを患っていた時みたいに、また自分の助けが必要だから私が彼と結婚したいのだと思ったようです。私のおもりを二度はしたくはなかったんでしょう。

J:なんてこと。

S:事故の前に話していた友人が、私がそんなつもりではないとエリックに伝えてくれたんです。けれども、彼は別の女性とデートし始めていて、家を出るところでした。ベッドで寝たきりだったこともあってとても辛い時期でした。どうして生き返ったりしたのかと自分に問いかけたんです。それでも6ヶ月近くこんな状態が続いていたけれど、でも何があったとしても彼を愛し続けようと決めていました。そしてその2年後、またエリックがプロポーズしてくれました。その時、彼と結婚しようと自分自身とも約束したのです。

J:本にも書いてありましたね!

S:ええ。私たちの結婚式では、皆とても喜んで泣く人もいました。

J:きっと、そうですよね。この話全て、ガンのことも、AA12ステッププログラムのことも、マクロビオティック食ことも、事故のことも、あなたの勇気、ロマンス、喜び、ペットたち全てを本にしてください。たくさんの人の助けになると思います。

S:ええ、AA12ステッププログラムで本当に沢山の人を助けたいと願っています。

J:あなたの生命に対する情熱は皆が共有できるものです。キャンプでご一緒した時、あなたが持つ生命エネルギーは他の人と違うと感じました。臨死体験は、光に包まれた経験以上に意味深いものでしょう。

S:今はとても落ち着いています。事故の後、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に悩まされましたし、恐怖を克服しなくてはいけなかった。車にも乗れない、家の外に出ることもできないほど、何もかもが意味もなく怖かったんです。

J:そうでしたか。けれど、あなたは今ここにいますよね。レストランを経営し、6匹の犬と暮らし、家を持って、大家さんでもあり、クラスを主催し、エリックと3冊本を出版し、レシピを書き、料理を作って・・・。全てがあなたの人生の一章でしょう。こうやって一緒に何時間も話したりもできて。

S:本当です。もっと沢山話して、私の人生をシェアすることができますね。ジュリアが知らない私の子供の頃の話も。5歳の時には性的ないたずらをされたりしたこともありますが、でも今私は幸せなんです。

J:なんてことでしょう!普通の人では考えられない経験や酷過ぎる思いもあるけど、本当に沢山の経験をされているんですね。

S:そんな経験をしても私はここに笑顔でいて、私は自分の人生が好きです。

J:自分の人生が好き。それは皆に伝わります。一緒にいると、あなたのエネルギーを感じます。そのおかげで私も自分の人生が好きだと感じていますし、皆それを目指して、それを理解しようとして、いまここにいるんです。お話ありがとうございました。

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すずきさなえ(鈴木草千):
・人間とペットの健康とライフスタイルに関するカウンセラー
・カリフォルニア州ベニスにある素晴らしいオーガニック・ビーガン・マクロビオティックのレストラン「シード・キッチン(Seed Kitchen)」の共同オーナー
・2冊のビーガン・マクロビオティック本(Love SanaeとLove. Eric and Sanae)の著者
・卵巣ガンと臨死車事故の生存者であり、マクロビオティック食とライフスタイルを通じその両方の困難を克服
・快復後、料理、栄養的側面を考慮したマクロビオティック・カウンセリング、導引、瞑想、持続可能な生活様式などの先生であり、指圧も教えている
・彼女が出会う人それぞれが本来持つ肉体的、知的、霊的な健康の種を植え、芽吹かせることを手助けすることが彼女の希望
・詳細は以下:
www.seedkitchen.com
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by studio-mugen | 2013-08-28 04:31 | 草千日記  

一緒に楽しむ...

Enjoying Life Together...

エリックの誕生日が来た。


Seed Bistro (シード ビストロ)、ウィルシャーロケーションを4月28日に閉店して悲しかった。
でも夫婦で一緒に楽しむ時間が出来たことはベストだと言える。

友人のマークとドナがエリックのバースデーに
北カリフォルニアのメンドシノに彼を連れて行きたいと言ってくれました。
宿泊はエコグリーンでビーガンのスタンフォードイン
私もラッキーなことに行ける事になって楽しく過ごしました。


Seed Bistro (シード ビストロ)、ウィルシャーロケーションがオープンしていた時は
エリックが毎週90〜100時間働いていて、
彼のストレスは頂点に達していてこのままでは病気になるなんて私は内心本当に心配してた。

時によっては続けていく事が大切ではなく、辞めることが出来る勇気と心の強さが必要だということを学んだ。

そしてエリックは素晴らしいバースデーを過ごせました。

Eric with Mark & Donna
エリックとマークとドナ


Eric's smile canoeing
エリックのカヌー



Eric's B-Day 2012
スタンフォードインでエリックのバースデーシャーベット


あまり仕事をし過ぎていると人生はシンプルで何もかも楽しいっていうことを忘れてしまうようですね。

北カリフォルニアから戻って来てSeed Kitchen (シード キッチン)ベニス店の新しいメニュー作りをしました。




一緒にお料理したり、ハイキングに行ったり、シッポの家族といっしょに昼寝したり、映画見たり...


Eric with 4 dogs hiking
エリックとうちの4匹のシッポファミリーハイキング


Eric making Gyouza with furry assistants
餃子を作っているエリックとシッポの観客



Bubu takig nap
昼寝をしてるブブちゃん


私たちのこの夏のスローガンは”ゆっくり行こう”!

みなさんもこの夏を楽しんで下さいね。

 らぶ
Sanae
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by studio-mugen | 2012-05-25 10:44 | 草千日記  

春が来た...

ここ南カリフォルニアは暖冬だった。
時々冬だって忘れるくらいの暖かさ(日向では暑いくらい)の日があったかと思えば
南カリフォルニアに住んでるのを忘れるくらいの寒さで冷たい風が吹いたりした。
気候も変化の時を迎えているようだ。

ここ私たちが住んでいるサンタモニカも例年より4週間ほど早く桃の花が全開しました。

桃の花
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東海岸の方ではメープルの木が早くもシロップ液をを出し始めたというニュースを聞きました。
あまり寒くなかったせいで熟成されなかったメープルの木のシロップは甘くなくシロップを
作るのに通常の何倍もシロップ液と時間がかかるということでお値段があがるのを市場では恐れています。
それでなくてもオーガニックの本物メープルシロップはこちらでとても高価なものですから
あまり高くならないといいのですが。

このニュースを聞いて人間もいち早くディトックス(排泄)が
今春は例年より早く始まっていてたくさんの人に症状がでているのに気づきました。
ディトックスの症状は風邪やインフルエンザの症状や花粉症のような症状から
皮膚のアレルギーなどさまざまで、ハッキリわからない事が多いのです。

お薬で対処しないで出来るだけ、こういう時期は全粒穀物を中心に
バランスのある野菜(青菜・根菜・丸い野菜)を
たっぷり使って、シンプルでさっぱりしたものを腹8分目食べて、よく噛む。
簡単な運動、散歩を30分くらい、そして 自分にあった楽しいことをして休息を十分とりましょう。

私たちのニューズレターで季節にあった簡単な健康秘訣をお伝えしていますので、ぜひニュズレターのリストにウェブサイトからメールしてサインアップして下さい。


私たちのイベントクラスにご興味がある方はぜひMeetupのメンバーになって下さい。



春の写真を載せてみました。


太陽光のアーモンド花
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アンジェリカ
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ビワ
Loquat IMG_7342


アップルミント
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水仙
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人参の葉
Carrot tops IMG_7332

蜂と桃花
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この写真から素晴らしい春を見つけていただけたら幸いです。


草千
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by studio-mugen | 2012-03-16 04:14 | 草千日記  

2012 ハッピーニューイヤー vol.2 初日の出を見た後...

初日の出を見ながら 日頃の健康と 小さな幸せな気持ちを新たに感じた...

1年の計は元旦にありと言うことわざがあって
うちの恒例の元旦行事は結構盛りだくさん。

まず私の野菜盛りだくさんの玄米お雑煮を食べる。
ふだんは結構マイルドな味で締めてやさしい気持ちでお正月を味わうはずが、今年はエリックが一口食べてオーマイゴッドと言って目が倍に見開いた***キッキングお雑煮!!!
だしを昆布と椎茸で十分とって生醤油でもうこれ以上入れたら塩辛いという限界手前ギリギリの味を付け。私にとったらこんな味つけはリスクがあってあまり作らないけど、いゃーあの初日の出を見たら挑戦してみたくなっちゃってね〜。

今年は辰年。この空想の干支年は何が起こるかわからないくらい可能性が高い。自分のいつも出来ないことに挑戦して試す年。お雑煮もちょっと違う味つけでスタート。毎日が同じ1日はないのだから、とにかく自分からやってみよう。自分から変えてみよう。


Ozouni 2012 L1040921
写真:2012辰年のお雑煮


美味しくってお雑煮を2杯も食べてお腹いっぱいの後は、ローズパレードを見なる。今年は昨年は新しいレストランシードビストロをオープンしたのもあって休みがなかったエリックは、うちの犬たちと新しいネコのティンティンとすぐウトウトしちゃった。私も彼らの写真を撮ってから仲間入りすることにした。


All 6 dogs with Tintin sleeping L1040879
写真:うちのゴールデンファミリーのお昼寝

お昼寝から起きてもまだお腹いっぱい。次は初ビーチで初バイスクルしに行く事になった。ビーチはみんなもお昼寝して今起きて来たかというくらいすっごい人で新年の神社参りに行くような賑わいだった 。

神社参りとは確実に違う、ベニス・ビーチーのストリートパフォーマーたちは
素晴らしくってしばらく何もかも忘れて見入ってしまった。


NY Venice Performers photo-62
写真:ベニス・ビーチのパフォーマー
(この人たちはよくSeed kitchenに食べに来てくれるパフォーマー)


サンタモニカまで行って休憩したら、カモメがエリックに寄って来て新しい年を祝福しているようだった。元旦から縁起が本当に良いねってシャッターを切った。


Eric bicylce photo-60
写真:エリックとタンデムバイスクル(二人用自転車)そしてカモメたち


ベニスビーチに戻って来る途中、感動の初夕日を見た。
朝早く同じ太陽が昇るのを見て感動して、そしてその太陽が沈むのを見て感動する。幸せとはこんな繰り返しの中にある本当はささやかなものかもしれないと 胸が熱くなった。


NY 2012 Sunset with Seagul photo-53
写真:ベニスビーチの初夕焼け


夜はいつも予約を忘れてしまうエリックが二人の大好きな海辺のホテルのレストランを予約していてビックリ。またまた私のハートは笑顔でいっぱいになってしまった。

美味しい夕食後、最後はお正月映画。“ディッセンダー”を見た。
昨年バケーションで行ったハワイのラナイビーチが映画の中に出て来て
バケーションムードになってゆったり元旦の最後のアイティネラリー無事終了。

普段仕事であまり時間がないけど、元旦にはこうしていろんな事ができて感謝。
今年も自分なりの1年を今日1日で生きていけるよう願います。

草千
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by studio-mugen | 2012-01-25 15:12 | 草千日記  

2012 ハッピーニューイヤー Vol. 1 初日の出

サンフランシスコに住んでいた頃を
思い出させるような霧いっぱいのサンタモニカ早朝。


NY Fog in SM signal light IMG_7226
 写真1:信号もボヤケて見えないくらい。


5時起きは少し寒かったけど目覚まし時計もなく時間通り起きて出発。
自宅の周りは霧で信号も見えないくらいだったのにサンタモニカ山に向かって
北に20分、マンデビルキャニオン通りを過ぎた頃に 霧が見えなくなって霧が晴れたかと思ったら、自分たちは霧の上にいたんだと頂上に着いてわかった。

ウエストリッジハイキング道のパーキングで車を降りたら
サンタモニカより暖かくってきれいな元旦の空。
東側はもう薄っら日の出の赤さを見せ始めてた。

NY 2012 wating for sunrise IMG_7249
写真2:うっすら赤く透き通るような空。


今年は、昨年より少しまた歩けるようになったので、
もう少し高く登って日の出を待つ事にした。

こんな小さな山に登っても地球が丸いのをしっかり感じた。
一時一時色が変わる空がどんどん赤くなって来た。

NY 2012 waitng for Sunrise IMG_7241
写真3:少しづつ確実に赤くなっていく空。


日の出と反対の西側を見たら霧でうもれたサンタモニカビーチと街が見えた。
美味しそうな綿菓子のような海。

NY 2012 we were above fog IMG_7266
写真4:街は霧で埋もれていた。


自然の美しさに感動!

ocean IMG_7265
写真5:サンタモニカにビーチと海は霧ですっぽり包まれて、彼方にカタリナ島?


6時59分時間通り太陽が昇って来た。
太陽が昇って来たというより
地球が躍動しているのを感じられる凄い瞬間だった。

NY 2012 Sunrise IMG_7269
写真6:時間通り昇って来た初日の出。


最愛なるエリックが初日の出を見て感動している私の姿を
逃さず写してくれていた。
こんな貴重な写真は初めて写してもらった。

NY 2012 sunrise Sanae & Kula #2 IMG_7274
写真7: エリックが写してくれた私とクラちゃん。


初日の出を見て感動している自分の顔を写真で初めて見て素直に美しいと思った。

言葉ではない彼の愛を感じ、感謝でいっぱいだ。
ありがとう、エリック!!!

NY 2012 Eric with Sunrise photo-50
写真8:初日の出とエリック

今年も素晴らしい新年の始まりだ〜!


つづきは後ほど...草千♥
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by studio-mugen | 2012-01-04 08:47 | 草千日記  

原発の現場で働いているご家族からの願い!!!

原発の現場で働いているご家族からの依頼メールが
日本の友人を通して入ってきました。

これは数日前のものですので、状況は少し変わっていますが。

現在の状態で、色々な想いや体験、考えが一人一人に湧きあがっていると思います。
ネガティブ(否定的)、ポジティブ(肯定的)色々あると思いますが、それとしっかりと向き合い、
昇華しながら、できれば怒りや悲観、大きく揺れる感情から
来るものではなく(動機はそこでもいいと思いますが)、
それを「愛」と「赦し」に変換したそういう想いでこの願いが広がるのを祈ります。
これからの日本を救えるのはこの想いだと信じています。
想いは目に見えませんが、必ずあるのです。
もしかすると、忘れかけていたかもしれないこの想いを取り戻すのは、「いま」です。

たくさんの方に伝えて祈っていただけることを私は願います。
そして祈ってます...

Buddha©

皆さん
どうかお願いがあります。
みなさんからの祈りをお願いします。

今、福島原発で、
命がけで我々の国この日本を、
日本国民を、
あなたを、
あなたの家族を救う為に、
懸命に仕事をしている人々がいます。

どうか祈って下さい。

作業が成功することを。
自衛隊特殊化学防護隊の隊員たちは志願者です。
しかも年齢は55歳から上で、
もう子育ても終わったので、
思い残す事は無いと志願者となったようです。

その様な志願者が50名。
時事通信社の記事があります。
東電が全国の電力会社、協力企業に助けを求めました。
志願者です。

決死隊として原発の内部作業をする原発関係者のベテランを募ったのです。

中国電力の原発勤務40年というある男性が、
この作業は自分達のようなベテランがやるべきだ、
自分は定年まで後一年であるし、
子育ても終わったとして志願したそうです。

ご家族は、
静かに思いを語る自分の夫であり、
子供たちの父親の決意に、
何も言えなかたそうです。

その方の娘さんは、
今までと違う父のもの静かな顔を初めて見たそうです。

翌朝、いつも出勤する時のように、
『じゃあ、いってくる』と言って玄関を出たそうです。

原発での作業中は、放射線による被爆があります。

国が定める限界被爆単位100ミリシーベルト。
それが250ミリシーベルトになりました。
何故なら彼等が望んだからです。
100ミリシーベルトではすぐ時間が経ってしまい数分では作業ができないからです。
だから彼らは国に250ミリシーベルトに上げてくれと言いました。
その為の自分たちへの被爆量は覚悟の上です。

そのおかげで、
昨日、あと一歩で臨界点と言う所で臨界が止まったのです。

もし臨界点に達していたら…

私達は今、
この時を
この時間を
過ごしていません。

家族と恋人と仲間、
友人とこの時間が無かったかもしれないのです。
半径300キロ生物の生存率は、
限りなくゼロに近かったんです。

今のこの時間は、
彼等のおかげなのです。
お願いです。
みなさん祈ってください。
作業が成功するように祈ってください。

みなさんの思いを送ってください。

今日 放水作業が無事終わりました。

明日の作業も成功するように…。

隊員たちが無事であるように…。

どうか祈ってください。
どうかお願いします。

そして家族、友人、仲間、一人でも多く方々に
知ってもらい、
祈って欲しいので伝えてください。
お願いします。

以上


隊員さんたちの勇気ある行動と覚悟があってこそ今のわたしたちの命があること
深く深く感謝して祈りましょう。

すべての闇を引き受け、すべての人に愛と光を祈ります。

Love,
Sanae
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by studio-mugen | 2011-03-24 06:43 | 草千日記  

放射線予防の3つの非常食

3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震において
津波などでの被災 にあわれた地域の皆様に、
謹んでお見舞い申し上げますとともに、
犠牲になられた方々とご遺族の皆様に対し、
深くお悔やみを申し上げます。

一日も早い復旧・復興を心よりサンタモニカからお祈り申し上げます

今朝は死者・行方不明者1万931人 発表があり(日本時間16日午前0時現在 警察庁)
 警察庁によると、16日午前0時現在、東北など12都道県警が検視などで
確認した死者数は3373人に上った。
家族や知人から届け出のあった行方不明者は7558人で、
死者と行方不明者は合わせて1万人を超えた。重軽傷者は16都道県で計1990人になっている。

その上、福島原発が相次いで起こっているため、 東京都でも15日、都内の観測施設で、通常の20倍以上の放射線量を観測したと発表している。

私の家族は名古屋で無事だったが、ニュースを見て
胸を抉られるような気持ちでいてもたってもいられない。
私にも何かできないか??? と思って

緊急時、特に放射線予防の非常食をここに書きますので、
たくさんの人々に知らせてあげて下さい。
毎日:
1.昆布と根菜、熟成麦味噌で調理した味噌汁1〜2杯を食べる。
2.玄米、きび、ひえなどの全粒穀物をごま塩と梅干し一緒に食べる。
3.脂っこいものや、動物性タンパク質、アルコール類を控える。

料理ができない場合は、与えられた 食べ物か手に入る食品と一緒に海藻(わかめ、昆布、海苔),
梅干しを食べて、味噌は飲み水で溶いて少しでもいいので、そままよく噛んで、噛んで、噛んで食べる! 
そして瞑想とお祈りをしてください。お願いします!!!

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海藻、梅干し、味噌 冷蔵が必要ないので、 被災 がない私たちも
非常食として必ず備えておくと良い。

これらのものが手に入らない場合は、一時的にヨウ素剤を服用する必要がある。


何かしたいと思う人はまずお祈りをして下さい。そして瞑想!!!
目を閉じて日本のこと日本にいる人々のことを心から思ってあげて下さい。
祈りと瞑想はパワーフルです!!!!!

そしてどんなに少しでもいいですので募金をして下さい!!!
お願いします。

いろんなところから募金できますが、
南カリフォルニアに住んでいる方なら下記のところからどうぞ。

JAPANESE CHAMBER OF COMMERCE FOUNDATION

244 S. San Pedro St #504, Los Angeles, CA 90012
Tel:(213)626-3067, Fax: (213)626-3070

IRS Subsection 501(C) (3): Tax ID# 95-4633602


南加日商基金は、日本で始動している救援復興作業に大量に不足する物資、医療活動、
被災者保護活動などに少しでも役立つよう願い救援人道支援の 募金を開始しました。

義捐金は全額がUNICEF L.A.からUNICEF JAPANを通し被災地に送られます。

寄付金チェックの宛先:U.S.Fund for UNICEF

(メモにJapan Disaster Fundと記入して下さい。)

なお寄付金は所得控除対象になります。

送付先:Japanese Chamber of Commerce Foundation
244 S. San Pedro St., #504
Los Angeles, CA 90012

締め切り:2011年4月30日

問い合わせ: Tel(213)626-3067 Fax (213) 626-3070

E-mail office@jccsc.com


Love,
Sanae
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by studio-mugen | 2011-03-16 05:15 | 草千日記