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Macrobiotic Todayの記事から”大好きな私の人生”

カリフォルニア州にある
1960年から続いているマクロビオティックの雑誌、Macrobiotic Todayの4月号に私のインタビュー記事が載った。日本のマクロビオティック日本CI協会が日本語に訳したものを載せて下さっていますので、
ぜひ、見て下さい。


一応ここにもコピペしておきます。

I Love My Life!
An Interview with Sanae Suzuki
サナエ・スズキさんとのインタビュー

(By Julila Ferréジュリア・フェレー)



Julia(以下J):マクロビオティックに出会ったキッカケを教えてください

Sanae(以下S):私はガンを癒すためにマクロビオティックを始めました。でも、80年代前半、私がまだ大学在学中に、当時通っていたヨガ・スタジオでアベリーヌ久司先生の本を見ていました。

J:ヨガ・スタジオに本が置いてあったのですか?

S:そうです。サンタモニカは昔から自然食やヨガなどが盛んな場所ですから。ヨガの先生の一人がマクロビオティックとローフードを融合させたような食事をしていたこともあって、そのスタジオに本がありました。初めて本を手に取った時、長いおさげ髪の写真だったこともあって中国人女性かと思いました。日本では、久司という苗字もアベリーヌという名前も珍しいですし。けれども彼女の名前とマクロビオティックという単語は、私の中にスッと入ってきました。ガンになる何年も前でしたけど。

J:ガンだとわかったのはいつですか?

S:ガンの告知を受けたのは93年でしたが、それ以前の91年頃から症状は出始めていて、いつも疲労感と微熱に悩んでいました。その少し前に父親をガンで亡くしたこともあって、私は家族を支えるのに精一杯でした。叔父は父の会社を手に入れようと画策したり、母親は情緒不安定になりその後病気で他界してしまったりと、私も精神的にとても大変でした。

J:それがガンの原因のひとつでしょうか?

S:そう考えています。その時は、1年に7回も日本へ行きましたし。ガンになったのは、忙しすぎたこともあるけれど、ストレスが原因だったと思っています。フルタイムで働いていたし、食事に気をつけてもいなかったし、移動も多かったし、そして一度目の結婚相手とも上手くいっていませんでした。

J:物事がどんどん悪い方向にむいているようにとれますね。どこのガンだったのですか?

S:卵巣ガンでした。

J:手術されたのですか?

S:手術はしませんでした。88年に単核細胞症と肝硬変に罹ったことがあったので、また肝硬変になったのかと病院で診察を受けました。一度目の結婚相手がアルコール依存症で・・・私も当時はお酒をたくさん飲んでいましたが、アラノン(Al-Anon)プログラムとAA12ステッププログラム(12-step program)を知ったお陰で助けられました。

この出会いをとおして、アルコール依存症という症状やその症状を抱えている患者の振る舞い、依存症患者のいる家庭の子供にどのような影響があるのか、など多くを学んだだけでなく、過食症など、他の依存症についても学びました。その後、ロサンゼルスのダウンタウンにあるAA(アルコホーリクス・アノニマス)センターで電話応対のボランティアをはじめました。それは生きた英語を学ぶ機会にもなりましたね。

 その後、そこで講演者の一人になりました。日本語のアクセントが強く残った英語だったけれど、病院やチノ刑務所にも行ってスピーチをする機会もありました。人は変わろうと決意すればいくらでも変われます。私を見ていただいてもわかるように、私自身も大きく変わってきました。AAやAl-Anonからあらゆることを学びましたし、それだけでなく今もまだ残っているロサンゼルスの日本人のためのAAミーティングを立ち上げる手伝いもしました。これが人の前で話し始めるようになったきっかけになったようです。

AA12ステッププログラムの考え方は、後にガンを克服するのにも役に立ちました。「私はガンに対して、無力である」と受け入れたのです。

J:AA12ステッププログラムの考えをどう活用したのですか?

S:宇宙や神、呼び方はどうであれ、何か大きな力がこの世にはあるということを受け入れて、それに自分をゆだねます。そしてまず食べたものを全て書き出すことからはじめて、最後に今私が重点的に教えているスピリチュアリティを実践します。原理はマクロビオティックと似ているから、私のところに癒しを求めてくるガンの人たちにも、そして過食症の人、薬物中毒の人、アルコール依存症の人、薬を常用している人などの切迫した問題に悩んでいる人たちにも活用してもらえるのです。

J:マクロビオティックをAA12ステッププログラムの考えに組み入れたんですか?

S:ヨガ・スタジオでアベリーヌ・久司先生の本を見かけたときにマクロビオティックという言葉を知ってはいたものの、実践していませんでした。アルコールを止めたら肝臓が快復してきましたが、93年ごろ一年くらいずっと微熱が続いて身体が弱くなったと感じた時期がありました。また肝硬変になったのではと疑って病院で血液検査受けたら、肝臓ではなく卵巣に異常が見つかったんです。すぐにロサンゼルスのダウンタウンにある大きな病院に行ったところ、悪性の強い卵巣ガンだと告げられました。

保険は日本にしかなかったので、帰国する必要もありました。ショックが強くて涙が止まりませんでした。病院から帰る途中、近くにある日本食の自然食品を販売しているお店に寄ったのですが、オーナーのキクチさんは私を見かけると泣いていたことに気づいて、どうしたのかって気遣ってくれました。彼は以前から私にマクロビオティックについてあれこれ教えてくれていたのだけれど、卵巣ガンになったと診断されたことを告げると、すぐにマクロビオティックカウンセラーのセシール・レビンに会ってマクロビオティックを始めるようにとアドバイスをくれたんです。

 セシールさんに連絡はすぐに取ったものの、始めるまでに手間がかかりました。まずアンケート用紙を出してから、申込書を貰って、記入したものをセシールさんのところに持っていかなければならなかった。その場では、すぐ申し込みが出来なかったのです。それに日本やアメリカで、通常の病院での治療や手術に一体どれくらい費用がかかるものかも同時に調べていましたし。当時は父が他界したせいで母も体調を崩していたしそう簡単には日本に行くと決められませんでした。

 その時、親友だったエリックは「力になるよ」と言って励ましてくれました。マクロビオティックが食事法だと分かった後は一層私を支えてくれようとしました。彼はシェフだし、日本に行って日本料理を学んでいたし。それから、エリックが私に料理を作りはじめてくれて、私も1年くらいセシールさんの料理クラスに通いました。

J:回復の兆しはありましたか?

S:11月に始めて3月頃までは好転反応で排毒が始まり、体重が激減し体調が悪化しました。その後も料理クラスをとりながら授業中には横になるほど体調がよくない時もありました。セシールさんのクラスははレシピがなかったから、受講中は全て書き取る必要もありました。けれどそのお陰でしっかり勉強ができて、その年の暮れには体調がずっと良くなり体重も増えてきたんです。

J:クシ・インスティテュート(KI)に通い出したのはいつからですか?

S:94年です。KIのサマーカンファレンスに参加したのがはじめてです。セシールさんがが、彼女の1年間の料理クラスを完了後、料理を教える資格があると言ってくれましたので、95年からエレフォン・ナチュラルマーケットで料理を教え始めました。96から99年の間は、ラリー・クーパーが主催していたヘルス・クラッシックにキッチンスタッフとして参加しました。そこでマーク・ハナと出会い彼の料理チームに加わることになり、KIでも彼のチームとして料理をしました。その4年間フレンチ・メドウズのキャンプに参加できなかったのは、KIのサマーカンファレンスにいたからなんです。

 けれどそれ以外に、97年に6週間ヨーロッパに行って、マクロビオティックの先生たち、たとえばフランスのマダム・リヴィエールとレネ・レヴィ、ベルギーのクリム吉見、イタリアにいた村元登さんの奥様と共に勉強しました。7カ国訪問しましたが、それぞれの国では独自のマクロビオティックのスタイルがありましたから、とても刺激的でした。ベルギーでは布団づくりをしていて、それを手伝ったりしたんです。日本人だから布団作り方を知っているかどうか聞かれましたけれど、日本で布団の作り方を知っている人なんてほとんどいないですよ。

 アメリカに戻ってきてから、マッサージのクラスに通いはじめました。指圧のやり方は知っていたので、クライアントさんの一人がマッサージを仕事としたらいいとマッサージ学校には通うアドバイスしてくれたんです。それからは仕事として料理とマッサージとをするようになって、私のところに来るクライアントたちの体調も回復が早くなりました。

J:こんなに沢山の経験をつまれているとは知りませんでした。アルコール依存症、ガン、マクロビオティック教育、そして事故。本で事故のことを知った時にすごく悲しくなりました。事故のことを教えていただけますか?

S:KIでレベル1~3まで学んだ後、サンタモニカの自宅に戻り、エレフォン・ナチュラルマーケットでマクロビオティックのコンサルタントとして働く傍ら、プライベートでは料理クラスを主催したりマッサージ師として働いました。またマクロビオティックのコミュニティを立ち上げ、”Studio Mugen”を始めたんです。2001年に久司道夫先生がKIでレベル4を教え始めたと聞いたので、レベル4に進むことにしました。

 このときのKIへの旅は奇妙でした。それまで何度かエリックと二人でモントリオールまで車で一緒に移動して、帰りはエリックだけ飛行機で戻ったりしていました。それにKIまで自分一人で車で行っても道にも迷ったりしなかったのですが、その年はすっかり道に迷ってしまいました。モントリオールから出る道がわからず、アメリカ国内へ戻る道がわからないまま2時間ほど運転し続けていました。

何か奇妙なことが起こっていたのだと思います。KIからの帰りに時計が見つからなかったりもしました。KIをいつ出たら良いのかも決められなかったし。今となってはそうした兆候に、注意を払っていればよかったのだと思いますが、予定を変更しませんでした。アリゾナでは再び道に迷い、夜の7時に到着する予定が朝の3時までかかりました。本当なら、アリゾナの後ロサンゼルスに戻っている予定だったのですけれど。事故にあったのはその数日後です。

J:事故はアリゾナで?

S:そう、砂漠のど真ん中です。周囲には誰もいなくって、救助隊もヘリコプターでした。

J:何が起こったんですか?誰かがぶつかってきた?

S:いいえ、車が急に道を逸れて3回転半横転したんです。車が回転する間は意識があったから、全て覚えています。事故が起こってから4時間後に救助隊が到着しました。私を車から救助するのに、彼らはドアを切らないといけなかったから助け出されるまでにまた時間がかかったんです。

J:犬はどうなったんですか?

S:犬を3匹と猫を1匹連れていましたが、2匹の犬は死んでしまいました。残りの1匹と猫は、私が救出されるまでずっと傍にいました。救助隊の人に聞いたら、気温が40度もあったにも関わらず、何処にも逃げなかったのだそうです。太陽がすごく暑くて、意識がもうろうとしていたけれど、救助隊の人たちが私を車から引きずり出そうとしていたのを覚えています。次に目が覚めたのは、その3日後でした。

J:自分自身が身体から抜け出すような経験をしたのですか?

S:ええ、病院で。心臓が12分間停止したんです。

J:何か覚えていますか?

S:光が見えました。白い光と呼ぶ人もいますが、私にとっては輝く光でした。私はそこに向かって進んでいきました。その前には、生まれてからこれまでの人生が全て見えました。すごく早く進んでいたんです。恐ろしい、怖い気がしました。

J:光のほうに進んだんですか?そのときはひとりだった?

S:最初はひとりでしたが、ひとりだという気はしなかったです。すごく心地よかった。最初にアメリカで初めて飼った犬のサクラを見ましたのですごく嬉しかった。けれどサクラには、お別れを言って進まなくてはいけなかったんです。それから父親。現実では彼は既に亡くなっていたけれど「会えてうれしいよ」と声をかけてくれました。一緒にお茶を飲まないかと根っからの日本人的なことを私に言ってくれたのですが、私は行かないといけないと、彼にも告げました。そこには居たくなかったんです。サクラと父親に会えたのは嬉しかったけれど、きっと私は現世に帰ろうとしていたのだと思います。

 その間、担当医達は私を回復させようとしていましたが、電気ショックはうまくいっていなかったようです。もし彼らが普通の医者だったら私の命もそこで終わっていたと思います。しかし、トラウマ・センターのハミルトン医師は、他の医師が試した前歴のない、学校で習ったことがあるだけの停止した心膜に針を入れるという処置方法をとりました。まるで映画のパルプ・フィクションみたいな方法です。

J:ほんとうですか!心臓に直接針を?

S:ええ。でもその効果はありました。私は目を覚ましましたが、すごく酷い状態だったらしいです。ベッドを動かして太陽の光を見せろとどなりつけたり、ホメオパシーのレスキューレメディを買いにいけと言ったり、エリックにあれをしろこれをしろと命令したんだそうです。

 あちこち骨折していて、肺と心臓は打撲していて、肋骨は折れていて、手術に次ぐ手術でした。両足とも膝もくるぶしも完全に骨折していて、傷だらけで捻挫もしていたし、ボルトと鉄板で骨をつなぐしかなかったんです。テレビのバイオニックウーマンに近い状態でした。

 私を生き返らせてくれたハミルトン医師は、私自身がエッセンシャル・オイルやレスキューレメディを使用することや、肉を食べるのを拒んだりという選択を受け入れてくれました。他の医者は骨を丈夫にするために肉を食べるようにと命じたけれど、ハミルトン医師は私のやり方を尊重してくれました。日々回復している私の姿を見ていたし、私が生き返ったこと自体が奇跡だったと話してくれました。

 外科医の一人は、酷い状態だった私の左足を切断したほうがいいとも言っていました。一生歩けなくなり、車椅子で生活することになると。フィジカル・セラピーの治療を行って、上半身の動かし方や、ベッドから車椅子への身体の動かし方を習うようにと言われました。1年間は完全にベッド生活で、約3年間は車椅子生活だったからすごく落ち込みましたし、辛かった。身体中に痛みがあって、命を絶ちたいと思ったことも何回もありました。

 それ以上に、本当に辛かったのはエリックとの関係です。ガンと診断されたとき、彼は私にプロポーズしたんですが、そのとき私は生きる自信がなかったから断りました。それに彼は私より12歳年下なのだから、若くて健康で子供が産める相手を探すようにと言いました。彼には幸せになって欲しかったから、彼が私と一緒にいることは自分勝手過ぎると思ったんです。私の言葉に彼はすごくショックを受けたけれど、それでも友情はかわりませんでした。
しかし事故が起きる前、モントリオールで私がKIのレベル4に進んでカウンセラーになると言った時に、彼は私と別れると決めていたようです。

J:その後、道に迷ったのですか?モントリオールから出る道がわからなくなった?

S:そうです。そしてその旅で、自分が本当にエリックのことを愛していると気がついたんです。だから彼にプロポーズしようと決めたのです。私がエリックのプロポーズを断った時、もし将来、私の気が変わったら次にプロポーズするのは君だと彼からも言われていましたし。事故の前の日に友達に、エリックに告白して、一生一緒にいたいと伝えるつもりだと話したんです。本当に彼女に話していて良かったと今でも思います。最後の日、サンタモニカに帰る途中、犬と猫を散歩させようと寄ったアリゾナ州の砂漠の小さな村の名前は「ホープ」。それで「私には希望がある。エリックに話そう」と自分に言い聞かせました。事故がおきたのは、その15~20分後です。

J:すごい話ですね。

S:病院で昏睡状態から回復した後、エリックにあなたのことを愛してる、結婚したいと伝えたんです。けれども彼は私がガンを患っていた時みたいに、また自分の助けが必要だから私が彼と結婚したいのだと思ったようです。私のおもりを二度はしたくはなかったんでしょう。

J:なんてこと。

S:事故の前に話していた友人が、私がそんなつもりではないとエリックに伝えてくれたんです。けれども、彼は別の女性とデートし始めていて、家を出るところでした。ベッドで寝たきりだったこともあってとても辛い時期でした。どうして生き返ったりしたのかと自分に問いかけたんです。それでも6ヶ月近くこんな状態が続いていたけれど、でも何があったとしても彼を愛し続けようと決めていました。そしてその2年後、またエリックがプロポーズしてくれました。その時、彼と結婚しようと自分自身とも約束したのです。

J:本にも書いてありましたね!

S:ええ。私たちの結婚式では、皆とても喜んで泣く人もいました。

J:きっと、そうですよね。この話全て、ガンのことも、AA12ステッププログラムのことも、マクロビオティック食ことも、事故のことも、あなたの勇気、ロマンス、喜び、ペットたち全てを本にしてください。たくさんの人の助けになると思います。

S:ええ、AA12ステッププログラムで本当に沢山の人を助けたいと願っています。

J:あなたの生命に対する情熱は皆が共有できるものです。キャンプでご一緒した時、あなたが持つ生命エネルギーは他の人と違うと感じました。臨死体験は、光に包まれた経験以上に意味深いものでしょう。

S:今はとても落ち着いています。事故の後、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に悩まされましたし、恐怖を克服しなくてはいけなかった。車にも乗れない、家の外に出ることもできないほど、何もかもが意味もなく怖かったんです。

J:そうでしたか。けれど、あなたは今ここにいますよね。レストランを経営し、6匹の犬と暮らし、家を持って、大家さんでもあり、クラスを主催し、エリックと3冊本を出版し、レシピを書き、料理を作って・・・。全てがあなたの人生の一章でしょう。こうやって一緒に何時間も話したりもできて。

S:本当です。もっと沢山話して、私の人生をシェアすることができますね。ジュリアが知らない私の子供の頃の話も。5歳の時には性的ないたずらをされたりしたこともありますが、でも今私は幸せなんです。

J:なんてことでしょう!普通の人では考えられない経験や酷過ぎる思いもあるけど、本当に沢山の経験をされているんですね。

S:そんな経験をしても私はここに笑顔でいて、私は自分の人生が好きです。

J:自分の人生が好き。それは皆に伝わります。一緒にいると、あなたのエネルギーを感じます。そのおかげで私も自分の人生が好きだと感じていますし、皆それを目指して、それを理解しようとして、いまここにいるんです。お話ありがとうございました。

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すずきさなえ(鈴木草千):
・人間とペットの健康とライフスタイルに関するカウンセラー
・カリフォルニア州ベニスにある素晴らしいオーガニック・ビーガン・マクロビオティックのレストラン「シード・キッチン(Seed Kitchen)」の共同オーナー
・2冊のビーガン・マクロビオティック本(Love SanaeとLove. Eric and Sanae)の著者
・卵巣ガンと臨死車事故の生存者であり、マクロビオティック食とライフスタイルを通じその両方の困難を克服
・快復後、料理、栄養的側面を考慮したマクロビオティック・カウンセリング、導引、瞑想、持続可能な生活様式などの先生であり、指圧も教えている
・彼女が出会う人それぞれが本来持つ肉体的、知的、霊的な健康の種を植え、芽吹かせることを手助けすることが彼女の希望
・詳細は以下:
www.seedkitchen.com
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by studio-mugen | 2013-08-28 04:31 | 草千日記